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新谷博司 さんの日記

 
2015
12月 5
(土)
14:30
本文

【鷹山の改革20】<br />
 最初に改革を担当した当綱は1782年に失脚し、すぐには後任者は指名されずにいた。そして1785年に鷹山は隠居し藩主の座を治広に譲った。<br />
 1787年、志賀祐親が「経済立て直し」を提言し、その推進者となる。<br />
 しかし、藩財政はますます厳しいことから、新たな借金はせず、経費は2分の1にとどめる。そのためには竹俣の行った積極策は全廃することにした。しかしこの策は将来に対する夢を無くし、永遠とこのような状況が続くと受け止められて、領民の心配は増し、さらには物産品を売りさばいてくれている商人(金主でもある)の評判も悪く、3年足らずで行き詰まり、莅戸善政(竹俣当綱が改革奉行の時代に町奉行を務めていた)が呼び戻されて奉行職に就き、当綱策と祐親策の間を行く折衷策を進めることにした。<br />
 この策は、先の二人が行った策を反省して作られただけに、以降改革の実を上げることになる。<br />
                                      つづく
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